Japan Festival in Venezia Teatro Malibran
BGM:サンタルチア
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「アンサンブル・フローラと行く早春のベニス・ウィーン紀行」
〜フローラ旅日記〜
今回のツァーは、直前に色々な事情で4人ほどのキャンセルもありましたが、フローラを入れて17人のメンバーが参加し、現地でさらに4人の友人がJapan Festivalを見に来て下さいました。事前に説明会をした際、ウィーンだけでなく「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となったザルツブルグも周るオプションをつけたところ、ほとんど全員が参加されました。
(登場人物)
フローラ :小林直子、庄司陽子、蓮沼純子。自称 世界をかけめぐるミュージシャン
海東君 : 自称 フローラのファンクラブ組長で、今回のツァーの発起人
ミヤ : ミラノ在住の友人 Sさん (呼び名がミヤ)
ベニス編
3月20日(日)
ツァーの皆さんより一足早く成田を発ち、オーストリア航空52便にてウィーン経由ベニスへ向かいました。イタリアではトランクがなくなったり、着かない事が日常茶飯事だと、現地の友人からも注意されていました。心配なので、何より大切な本番の衣装、靴、譜面、フロッピー、等はすべて手荷物に入れた為、とても大きな機内荷物となりました。ウィーン・シュヴェヒカート空港で、先発の海東君と合流し、乗り継ぎ便にてベニス・マルコポーロ空港へ向かうと18時30分でした。そこからタクシーでホテル・ラグーナ・パレスへ。そこに、ミラノ在住の友人のSさん(ミヤ)が、私達に会う為にホテルで出迎えてくれたので、とても感動しました。今回のJapan Festivalの件を聞き、この時は友人として会いに来てくれたのですが、この出会いが、その後このツァーで非常に大きな意味を持つことになるのです。
3月21日(月)
ホテルで海東君、ミヤ、フローラで朝食。バイキング形式で色々目移りがしつつも、初めてのベニスで、今日の予定やエレクトーンの事、コンサートの段取り、これから夕方到着するツァーの皆さんの事などを考えると、色々心配になってしまいます。その様な状況の中、イタリア語と地理がわかっているミヤに出会えた事で、海東君は100人の味方を得たような気分。すっかり頼ってスタッフに巻きこんでしまい、これからミヤはフローラのステージマネージャー及び海東君との連絡係にならざるをえなくなってしまうのでした。ミヤはとても気がついて、テキパキとして面倒見も良く、ついにフローラと同じホテルに泊まり、3日間べったり同行を決意、まるで旅行社の人のようで、頼もしかった〜!持つべきものは友達!と又実感しました。
早速朝食後、5人でタクシーに乗り、ベニスの島へ渡り、ローマ広場へ。そこからサンタルチア駅まで歩き、そこから船であの有名なサンマルコ広場へ向かいました。途中ベニスに来たのだなという感動をおぼえながら、船からの景色を堪能。サンマルコ広場まで行き、ドゥカーレ宮殿、溜息橋、などを見学。そのあと会場であるマリブラン劇場を見に行きました。そのひっそりとした運河の脇にある古風なたたずまいの劇場に、なぜか緊張を覚えました。ベニスは石畳の道がでこぼこしているので、歩くととてもつかれます。路地も狭いので、迷子になりそうです。必死に前の人についていくのが大変で、どっちに行った?右左?という状態で、この時点ではお店をのぞく暇もない、結構ハードな移動です。そのあとレストランで一緒に同じメニューでランチ。終に本場のイカ墨スパゲッティー、いかとエビのフリット、アイスクリーム、本場のワインをいただいて、一寸疲れが取れました。おいしかった〜。
でもこの後、明日のイベントのことが何も打合せしていないことが急に不安になり始めました。イタリア的でのん気なのか?とにかくエレクトーンがどういうものなのかを知らない国で、司会との打ち合わせもないまま本番とは、とても不安なことなのです。監督も忙しいし、司会者は夜に着くというのん気さなので、心配性のフローラは、先に勝手にコメントを作ってしまうことにしました。以前の監督の提案で、下手でも良いからイタリア語をしゃべるほうが良いということでしたので、またもやミヤからイタリア語を教わりながら、それぞれのイタリア語の一言コメントを必死に覚えました。
そのあと、6時ごろ到着したツァーの方々をホテルで感動のお出迎え!お疲れ様でした〜。でも皆様とてもお元気で、ほとんど初対面同志だというのに、とても全員仲良しなのでびっくり!そして、希望者は、ホテルのそばのイタリアンレストランへ。このお出迎え夕食会には、ほぼ全員が参加して、楽しい親睦夕食会となりました。おいしい本場のイタリアンとワインやビールで盛り上がり、くつろいだ雰囲気の中、成田からベニスまでのツァーの様子を聞くことができて、とても有意義な時間でした。全員しっかりフローラつながりを意識されていて、お互いを思いやる気持ちのあるステキなツァーメンバーだということが、わかりました。
3月22日(火) (前半)
今日はフローラ大忙しの日です。ベニス市の歓迎レセプション、フェスティバルのリハーサルと打ち合わせ、そして大事な本番の3つをこなさなければなりません。朝食後全員バスに乗りトロンケットまで、そして船からベニスの景色を楽しみつつ、サンマルコ広場へ着きました。これからツァーの皆さんは、ガイド付きの市内観光へ。フローラとミヤは、マリブラン劇場へ向かいました。大勢のスタッフが行き交う劇場は、すでに他の出演者の方達のリハーサルが始まっており、活気に満ち溢れています。ふと舞台裏に目をやると、そこには大きな木箱が3つ・・・。ちょうど1週間前、私達の家から運び出されたエレクトーン達との、久しぶりの対面です。しかしまだ木箱に収められたままの状態でした。車の入れないベニスでは、船でエレクトーンを運び込まなければなりません。飛行機と船による運送に耐えられるように、本体105kgの物が厳重に木箱で梱包され、なんと180kgもの重量です。それを満潮時に船から陸揚げ、しかも3台もとなると、これだけでも大変なイベントに思えてきました。そして初めて舞台へ上がってみると、なんと4.5度の斜度があり、慣れない足元は微妙な感じです。その先には真っ暗なオーケストラピットの巨大な穴!。客席はさらにその向こう側にあり、照明が当たると全く何も見えない状態です。こわ〜。マリブラン劇場の短時間のバックステージツァーを経験し、司会者と簡単な打ち合わせ後、セレモニー用の服に着替え、レセプション会場へ大急ぎで駆けつけました。
お昼にベニス市・マリブラン劇場主催の 「Japan Festival 歓迎レセプション」が、溜息橋の隣にあるブリジオーニ宮殿で行われるのです。VIPの挨拶、各グループの紹介や記念品交換などの後、簡単なティーセレモニーが開かれました。終わるとすぐにサンマルコ広場に戻り、ツァーの皆さんと再会。ランチの場所へと又路地を大急ぎで移動し、レストランでイカとエビのフリット、ボンゴレロッソ、プリンをいただきました。
しかしこの時点で、まだ横たわったままの箱入りエレクトーンしか見ていない私達は、美味しいそうな食事がなかなかのどを通りません。もしも音が出ない場合、私達は、歌うのか?踊るのか?などとありえない事を考えておりました。もちろんもしもの事故に備えて、二台のエレクトーンとピアノのプログラムも用意してきましたが、それ以上は無理なのです。果たしてエレクトーンの音は、ちゃんと出るのでしょうか?
3月22日(火)(後半・本番前まで)
リハーサルの為、再びマリブラン劇場へ戻ると、いよいよ舞台の隅にエレクトーンが見える状態で横たわっていました、しかしまだ箱入りです。その暗がりの中、ワイシャツを腕まくりして、汗をかきながら必死に木箱と格闘している海東君を発見。これから彼は3台のエレクトーンを立ち上げて、3脚の椅子も ねじで組み立てなくてはならないのです。リハーサルの時間まで後少しという所でどうなるんだろうと思いながら、黙って見守るしかありません。いや!見ないほうがいいかも!結局、背中から激励を送ることしかできず、黙ってフローラはその場を去りました。(ゴメン!がんばって!)
ホールの天井には美しい絵がかかれていてシャンデリアがさがり、両側には美しい彫り物がほどこされたバルコニー席が広がっています。ここの800席がみんな外国のお客様でいっぱいになる様子をイメージしてみました。これはフローラの舞台としては最高のゲスト数です。なぜかとても幸せな気持ちが溢れてきました。外国でフローラの演奏をすることは夢のまた夢だったはず。後、数時間で、ヨーロッパで初めて、しかも水の都ベニスで、フローラの音楽を奏でることができるのです。私達の音楽はどんな風に評価されるのかしら?等と考えるうち、終に一時間遅れでリハーサル時間となりました。
何と汗まみれの海東君の努力により、エレクトーンといすが舞台にスタンバイされ、そのそばに、にこやかに笑う海東君が立っていました。さあ!電源をつなぎます。舞台監督に楽しみだね!などと言われながらスイッチを入れると、全部のランプが点灯し、取りあえず上下鍵盤、ペダル鍵盤を押してみると音が出ました。次ぎはフロッピーを入れて見るとそれも読み取り、予定通りの音が出ました。「音さえ出ればこっちのもんよ!」そして全曲演奏しながら、トークも入れ、立ち位置を決めると、無事リハーサルは終わりです。しばらく会場で他のリハーサルを見た後、マリブラン劇場近くのレストラン「GIARDINO」で、全員で夕食。でもおいしいリゾットや、カジキのソテー、デザートも、本番直前の私達はのどを余り通りませんでした。そしていよいよ開場時間です。7時開場でしたが、夕闇のマリブラン劇場の前にはなんとお客様の列が…。スゴーイ!そしてホール内では当日券を待つ黒山の人だかりです。やっぱり満席なんだと感動!さて、いよいよ本番です。
3月22日(火)(本番)
いよいよマリブラン劇場が開場しました。開演時間が急に7時半から8時に変わっても、イタリア的にはたいした問題ではなく、誰も怒らず速やかに会場はいっぱいになっていきます。3階席は出演者用の席と言われていたのですが、行ってみると、席はイタリア人のお客様でいっぱい!客席から初めの大正琴と四国民舞を見たあたりで、あまりにも集中を欠きそうなので楽屋へ。ところが隣の楽屋から今度はピアノが聞こえてきて、またまた集中できず。とにかく私達の出番は、二部の頭なので、20分休憩もはいるため、9時すぎの予定です。雑談をして気を紛らわしながら待機。一部の終わる頃、衣装に着替えてスタンバイし終わったあたりで、至急舞台へ来て下さいと呼び出されました。なにか楽器のトラブルかとびっくりしましたが、「休憩は10分に切り上げるので、もう音出し準備を!」と言われ、緊張する間もなく舞台へ。気持ちを整えて、座ったらもう本番。ここからは楽しく100万倍の笑顔で弾くだけです!
司会者のイタリア語の紹介の後、幕が開く直前、シーンと静まりかえった会場内にオーケストラ・チューニング音を静かに流しました。その後すぐジュラシックパークの演奏を始め、幕が上がりながらライトアップ。お客様に大勢のオーケストラがいると思わせながら、そこにはたった3台のエレクトーンとピアノがあるだけ。3人だけのオーケストラに、お客様は本当にびっくり!思わず大きな拍手が沸きました。ジュラシックパークがおわり、3人でイタリア語で挨拶。「ボナセーラ」(こんばんわ)「シアーモ アンサンブルフローラ」(私達はアンサンブルフローラです)「チ ピアーチェ タント ベネツィア」(私達はべネチアが大好きです)「ミキアーモ 純子 陽子 直子」(私の名前は純子・陽子・直子です)と自己紹介。ダイナミックなエレクトーンサウンドと、つたないイタリア語に感動してくれたのか、大きな拍手をもらいました。次にハッピを羽織り、「日本の唄ラプソディー」を弾くと、笛、三味線、尺八、お祭り囃子がばっちり決まり、ブラボーと拍手がきました。続いて楽しいリズムの「リベルタンゴ」「フニクリフニクラ」を続けて演奏。それぞれに大拍手!とくにフニクリフニクラでは、手拍子がごく自然に始まり、最高の盛り上がり!明るいイタリア人の反応が一曲ずつ伝わってきて、私達も演奏しながらうれしくて気持ちがワクワク そして ノリノリ!最高な気分で弾き終わり、800人の前で堂々と手を振りながら退場。幕が降りたところで、3人で手を握りあいながら、大きな感動をわかち合いました。
その後ロビーで、ミラノから車でかけつけて下さったヤマハ・イタリア社長のOさん(以前の渋谷店の担当者)と10数年ぶりの再会をしました。唯一のヤマハの目撃者です!やはりイタリアにはエレクトーンはないそうです。細かな操作は、なかなか外国人には受け入れられないのでしょうか…。しばし歓談の後、客席から最後のプログラム「那須の疎水太鼓」を見ました。これは素晴らしく切れ味のよい太鼓パフォーマンスでした。さすがにトリです!お客様も日本文化にふれることができて、大喜びの様子でした。
フェスティバルが終わるともう夜11時半。ホールの前でツァー全員で集合し、再び船とバスを乗り継ぎホテルへ。ツァーの皆様から、マリブラン劇場でのエレクトーンサウンドは、サントリーホールの時以上に素晴らしく良かったと感想をいただきました。みんな自分のことのように緊張して聴いていてくださったのだと、改めて感謝の気持ちがいっぱいになりました。暖かい応援ありがとう!そして日本からの声も届いていましたよ。やはりホールの音響が素晴らしかった事、そしてホールのP.A.の技術、輸送に携わった皆さんの努力に感謝!もうどこにも足を向けることができず、眠ることもできない フローラなのでした。明日はやっとベニス・フリータイムが楽しめます。
3月23日(水)
昨日の本番を終えて、すっかり気持ちの楽になったフローラは、にこやかな笑顔で朝食をとりながら、今日の予定の打ち合わせをしました。本来は自由行動の日でもありますが、希望者の多いムラーノ島にほとんどのメンバーが行くことに決定。でも午前中でお世話になったミヤとお別れしなくてはなりません。それに海東君はエレクトーンの梱包と積み込み作業があるので、いっしょに行動できないという心細い状況になってしまいます。再びフローラはピンチ!でも何とかなるわとのん気に構えておりました。
朝食後、バスとボートを乗り継ぎサンマルコ広場に向かい、そこでツアー全員の記念撮影をしました。イースター休暇に入っていたので、サンマルコ広場は凄くにぎやかで、ドゥカーレ宮殿やサンマルコ寺院には長い列ができていました。スリに会わないように要注意です。お昼まで自由行動なので、念願のショッピング、そしてやっと有名なリアルト橋を渡ることができました。ツアー最年少ペアのY嬢とW嬢は、憧れのゴンドラに乗り、集合時間に遅刻しそうになったので、「アレグロ!アレグロ!」と急がせたた所、理解してくれたとか。
そしてお昼は、すっかりツァーの要になってしまったミヤと、お別れ昼食会です。地図を見て歩くことが大好きで、ベニスの路地にすっかり詳しくなっN夫妻の案内で、驚くほど細い道をぬけて「CONCA D’ORO」というレストランへ向かいました。本当にすごい近道だったのでみんな感動し、勝手に 「Nロード」と名付けました。海東君が常にメニューに気を配ってくれているので、同じメニューは重なりません。今日はおいしいワインとラザニア、子牛肉料理、アイスクリーム、でした。フローラツァーはすっかり大家族の様になってしまい、いつも話が弾みます。
さてミヤと別れを告げ、全員でムラーノ島へ向かいました。一時間くらいの船旅ですが、ともかく初めの船着き場で降りてみました。ムラーノ島は本島と比べると、人も少なく、静かな雰囲気で、運河沿いにベネチアングラスのお店が並んでいます。早速ベネチアングラスの工房に立ちより、デモストレーションを見せてもらう事になったのは良いのですが、いきなりこわそうな犬にほえられ、わーっ!と全員でびっくり。(いやーな予感〜。)ともかくガラス細工を作るところは見学できましたが、ショールームのガラス製品は価格が不明。何か怪し〜い感じがしたので、チップを少々払って退散しました。
前途多難な雰囲気になってきたので、時間節約のためにも別行動にすることを提案。各人で色々なお店の美しいベネチアングラスを鑑賞しながら、買い物を楽しみました。素晴らしいフットワークを見せたHさん、T.M.さん、T.Fさん達は、さらに船で、レースで有名なブラーノ島まで行かれました。すばやい決断でしたね。そして4時ごろの船でサンマルコ広場に戻り全員集合。フェニーチェ劇場の前を通り、そのそばのステキなレストランで、ベニス最後の夕食を取りました。今度はペンネ、舌平目の料理、プリンです。そしてサンマルコ広場を通り船着き場へ。夜のサンマルコ広場は昼間の喧騒が信じられないほど静かで、寺院のたたずまいさえ厳かに感じられました。ホテルに向かう船に乗りながら、べニスの美しい夜景を心に焼き付けるように、しみじみと眺めました。ベニスの絵を描きたいとおっしゃっていたNさん、充分心の中にスケッチができましたでしょうか?またいつかきっと来るから!と約束したくなる美しい街ベネチアでした。
ウィーン編
3月24日(木)
今日はいよいよ 水の都ベニスとお別れの日です。5時に起床、朝食のお弁当を受け取り、6時にホテルをバスで出発しました。7時50発のチロリアン航空(プロペラ機)にて、空から見える思い出深いベニスの島々を胸に焼き付けながら、音楽の都ウィーンへと向かいました。
9時15分、ウィーンのシュヴェヒカート空港に到着。フローラツァーは、専用バスで市内観光に出発です。市内の環状道路(リンク通り)に沿って、ドナウ運河、伝統的な建築物、音楽家の像や生家、美しい公園など数々の名所旧跡を、ガイドさんの説明を聞きながら一周。音楽愛好家憧れのウィーンですもの、見逃すまいと首を右へ左へと、皆大忙しの車内でした。650年もの栄華を誇ったハプスブルグ家の遺産なのでしょうか、芸術の都は、とてもエレガントな町並みでした。
ウィーンといえば、まずはハプスブルグ家の夏の宮殿です。マリア・テレジアン・イエローで彩られた概観が印象的な、シェーンブルン宮殿を見学しました。モーツァルトが幼い頃に御前演奏した「鏡の間」や、ウィーン会議の際に舞踏会場として使用された大広間等、素晴らしい芸術の並ぶ数々の豪華な部屋には、ため息が出るばかりでした。幼いモーツァルトが色々な絵の中に描かれており、いかに当時から彼が大スターだったのかが伺えます。宮殿の外には、イースターの時期でもあり、可愛い絵が描かれた卵のお店が、ずらりと並んでいました。
昼食は、オーストリアならではのメニュー、ウィンナーシュニッツエル(ジャガイモ添え)と、フリタッテンズッペ(細切りクレープ入りコンソメ)、それにパンとワイン、フルーツのデザートをいただきました。なかなか日本人に合う味付けと、内輪では評判です。カリカリした食感のシュニッツェルも、付け合せのジャガイモもとてもおいしく、香ばしいパンはワインにも良く合いました。
さて、今日から宿泊するウィーンのインターコンチネンタルホテルは、さすが5つ星ホテルだけあり素晴らしく豪華、最高の泊まり心地です。部屋のカーテン、クッションはなんと楽譜の柄!音楽好きの私達はこれを見て即感動です。午後の自由時間はまず自分の足で町を確かめようと、なぜかスーパーマーケットを探してかなり歩き、おかげで少し地理が分かりました。20年ほど前にこの地を訪れたというC子さんは、変わらぬ町の雰囲気をとても懐かしんでいる様子でした。
その後、ウィーン交響楽団の本拠地、コンツェルト・ハウスのイベントディレクターの特別な許可を得て、希望者はホールの中を見学することができました。これはなかなかめぐり合えるチャンスではありません。1800人収容の大ホールと、700人収容のモーツアルトホールの中に足を踏み入れた瞬間、その厳粛な堂々とした美しさに身が引き締まる思いがしました。その上なんと舞台上のピアノに触れても良いと許可を頂けたので、緊張しながらも少しずつピアノを弾いてみました。うわ〜!なんと素晴らしいスタインウェイなのでしょう!ホールに音が包み込まれるようにように反響し、その上品な音の感触は今も忘れられません。
夜はフォルクス・オーパーという劇場に、芸術性の高いバレー「ヌード」を見に行く予定でいました。が、劇場に着くや、知らない間にミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」に変更されているのに気付き「???・・・・・。」 おまけに開演時間も早まり、さすがにこれには海東君も「聞いてないよ〜」とびっくり!観劇前に劇場近くの、有名人もよく立ち寄るというレストランで夕食。その時のサラダのおいしかったこと!もりだくさんの豊富な種類の野菜とドレッシングの絶妙な味は、忘れられません。それに今日の演目の変更は、これから「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となったザルツブルグに行く私達にとっては、又とないラッキー!とみんな大喜び。映画とは一味違う「サウンド・オブ・ミュージック」を、心より楽しみました。
3月25日(金)
今日は自由行動の日。
楽しく今日のそれぞれのプランなど語りながら、ゆったりと朝食をとっていると、なんと突然オーストリアのテレビ局が、私達のテーブルにカメラとマイクを持って近付いてくるではありませんか!もしや、Japan Festivalに参加したフローラへの取材か・・・?などと寝ぼけたことを考えていると、T.Sさんにインタビューのマイクが向けられ、彼女は流暢な英語で答えておられました。カッコイイー!取材の内容は、もちろんフローラと全く関係なく、「イースター休暇で皆さんは旅行に来たのか?」など、イースターがらみの取材だったようで、このインタビューはテレビで放映されました。いつも目立たない所でフローラの力になって下さるT.Sさんの、素晴らしい一面でした。
朝食後、何をさておいても見に行きたかった、モーツァルトの像のあるブルク公園を目指して出発。そしてついに、ト音記号をデザインした花壇の前に立っているモーツァルトの像を発見!しかしなんと、モーツァルトの像に色々な色の風船がついているではありませんか?(げー!ダサー!)その品の悪いいたずらにむっとしたフローラは、尊敬するモーツァルトのためと、迷うことなくバルーンアートらしきものをいくつか取り除いてしまいました。そのとたん、そばにいたオーストリア人(多分)が、「NO!」と叫び、これは今日のモーツァルト・オーケストラのコンサートの宣伝だから、さわるな!と言っています。そうなんだ…。でもひどい悪趣味!と思いながら、しぶしぶ元に戻す事に。しかしいくつかは、取り除いたまま捨てたような…。ま いいか。仕方なく、今日のところは、そのまま記念撮影しました。
次は美術史博物館です。ブリューゲル、ベラスケス,ラファエロ、デューラーなどの有名な絵画を目の当たりにすると、感動と共にとても豊かな気持ちになれるものです。学芸員の資格を持つT.Jさんが一緒でしたので、より内容豊富な美術鑑賞となりました。その後、金色のキャベツといわれる「分離派会館」セセッシオン へ。その地下では、クリムトがベートーベンの「歓びの歌」をテーマに描いた壁画、「ベートーベン・フリース」が見られます。私達のレパートリーにも第九交響楽があるので、目力を入れて眺めてきました。
いよいよ次はこの旅の大きな目的でもあった、ホテル・ザッハの”ザッハトルテ”です。素敵な店内で、本場のウインナコーヒー(アインシュペナー)と、日本では食べることのできない当ホテルのザッハトルテをいただきました。添えてある生クリームのフワフワ感が、何ともいえず美味!早速おみやげに木箱入りザッハトルテを買い求めたもの、送料があまりにも高いので、仕方なく持ち歩くことに…。
さてエネルギーを充電したところで、モーツァルトの葬儀が行われたシュテファン寺院へ。12世紀から造成が始まったという大きな寺院は、歴史の重みと風格を感じさせる佇まいでした。エレベーターで塔の上まで昇ると、そこには鮮やかな屋根のモザイクと、ウィーンの街を一望できる素晴らしい眺めが待っていました。ショッピングをしながらホテルへ戻る途中、だいぶ疲れてきたにもかかわらず、どうしてもあのヨハン・シュトラウスの像に立ち寄りたく市立公園へ。金色に輝く像はあまりにも有名、その絵になる美しさにしばし疲れも忘れ、またもや感動のフローラでした。
今夜はホテルで、海東君がセッティングしてくれたツァーの皆さんとフローラとの、大切な晩餐会があります。フローラとしては最高の敬意を表し、赤いブラウスと黒ネクタイという、レセプションの時の衣装で出席。皆さんもステキにドレスアップ!その皆さんの気持ちにとても感動を覚えるフローラでした。とっておきのワインをフローラからサービス!チーズとサーモンのテリーヌ、マッシュルームソースで煮こんだビーフ、温野菜、ワイルドチェリーケーキなどおいしいデイナーをいただきながら、すっかり仲良しになった皆さんと、お食事しながら歓談。とても思い出深いディナーとなりました。それからシャンデリアの輝く階段で、全員で記念撮影。もう大家族の感覚です。
そのあと、フローラはやっと手に入った楽友協会のコンサートへと向かいました。今晩はモーツァルト時代のコスチュームで演奏する、ウィーン・モーツァルト・オーケストラの演奏会です。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで小沢征爾氏が指揮された、シャンデリアの輝く楽友協会大ホールだと思うと、胸も高鳴ります。中はやはりその通り!黄金のホールといわれるだけのことあり、天井もバルコニー席も、眩いばかりの金色の輝きでいっぱいです。その憧れのホールのど真中の席に、先ほどの衣装のまま、3人で座ったのでした。(目立ったかな?) 華やな衣装をまとったオーケストラが、モーツァルトのお馴染みの曲を演奏し始めるやいなや、すっかり優雅な響きにに酔いしれておりました。
今日は終日乗り物を利用せず、すべて徒歩での観光。丸一日、本当によく歩きました。中でも特筆すべきは、間もなく喜寿を迎えられるツァー最高齢者、オカヤンの素晴らしい行動力です。観光にショッピングとすべてフローラと一緒に歩かれ、さぞお疲れのことでしょう。が、好奇心旺盛、話題豊富なオカヤンは、いつも精力的です。その秘密は何?
ザルツブルグ編
3月26日(土)
今日はウイーンを発ち、ザルツブルグへ向かう日です。朝食後、もう一度ロビーにて全員で最後の記念撮影。このオプショナルツアーに参加せずに帰国されるT.M.さんに見送られて、バスで出発。ウィーンの美しい町並みに別れを告げ、ヨハンシュトラウスのウィンナワルツを聴きながら、風光明媚なザルツカンマーグートへ向かいました。そのバスの中で、T.F.さんは、遠足の時のように袋に詰めたお菓子を配って下さったので、みんな大喜び!車窓からメルクの修道院を眺め、グムンデンの市街を通り、昼頃、ユネスコ自然世界遺産の中で最も美しいと称されるハルシュタットに到着。本当にそこは、絵のように美しい山と湖の町でした。あたりには真っ白な雪がたくさん残っていて、それが強い日差しにまぶしくキラキラと耀きいています。鏡のように透明な湖は、すばらしい青空と雄大な山々を写し、あたりはほとんど人影もなく、この静かな光景を一人じめできた私達は、とても幸せでした。カメラが大好きのKさんは、美しいナイスショットがたくさん撮れたことでしょうね。
ここは岩塩抗の町として有名で、ハルシュタット湖の急斜面に入りこんだように住まいがあり、狭い奥まった路地やゴシックの教会が印象に残ります。湖に沿って町並みを散策しながら、ツタのからまる山小屋風の可愛いレストラン「GASTHOF ZAUNER」で昼食をとりました。クレープ細切り入りコンソメ、塩焼きのお魚レモン添え、リキュール入りプリン、どれもおいしくいただきました。せっかく岩塩の町に来たのに、どこもお店がしまっていて、お土産の岩塩が買えなくて残念!昼食後、小高い丘の上にある教会まで、階段を一息に上がりました。そこから湖を見下ろす景色は絶景!教会の隣には、雪で半分埋もれた十字架のお墓が並び、その奥に歴史的納骨堂がありました。狭い土地なので、10年以上たった方の頭蓋骨は、お花の絵など彩色を施されて、みんなお堂に収められています。先祖を大事にする風習に感動を覚えつつ、いささかショックを受けた私達でした。
再び美しい雪景色と山々を見ながら、バスで、ザルツカンマーグートの中心地 サンクト・ヴォルフガング湖を経由し、世界遺産の街、ザルツブルグへ向かいます。いよいよ「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となった、あこがれの町です。そこはまたウィーンと違った、郊外の、のんびりとした雰囲気がありました。まず「ドレミの歌」の舞台となったトラップ一家のミラベル宮殿、可愛いデザインのギルドの看板が並ぶ ゲトライデガッセ を通りながら、モーツァルトの生家へ。そのクリーム色のレジデンツの中には、モーツァルトの使ったピアノやバイオリン、日常生活様式などが当時を再現するように展示されていました。
その後大急ぎで、ザルツブルグ音楽祭の行われる「祝祭劇場」、ホテルザッハ(ここにもあった)、モーツァルトの住居、ザルツブルグ大聖堂、カラヤンの家、鐘楼、モーツァルト像、などを見学し、市内のカステラーニホテルに向かいました。観光名所がとても多い街なのに、とても時間が足りず、「買い物もゆっくりできなかったわー!」と言う声がしきり。せめて日帰り遠足にせず、一泊ツァーにして本当に良かったと思いました。
その夜はホテル内でいよいよツアー最後の晩餐となりました。コンサートとツァーの成功を祝ってワインで乾杯、おいしいコンソメ、野菜のラビオリ、グランマニエソースのフルーツケーキをいただき、楽しい旅行の思い出を語り合いました。夕食後、再び町に出かけると、教会の鐘の音が聞こえてきました。大聖堂でイースターの礼拝が始まったのです。ドアを開き教会に足を踏み入れると、ろうそくの光の中、賛美歌がひびきわたり、荘厳な雰囲気の中の礼拝が行われていました。暫くその神聖な雰囲気に浸りながら、この場に居合わせる事ができたことに感謝しました。町を歩くと、きれいなショーウィンドーにはみんな明かりがついているのに、お店は閉まっていて買い物はできず、とても残念!でもザルツブルグを一目見ることが目的でもあったはずと我慢して、石畳の道をあちこち歩きながら、最後の夜を楽しんだのでした。
3月27日(日)
思い出深いフローラツァーも、ついに最終日となりました。さわやかなザルツブルグの朝、6:30モーニングコールの前に,鳥の声で気持ち良く目覚めました。さすが音楽の都だけあって、鳥の声もなんとなくロマンティックで、メロディック!何ていうのは、夢見るフローラの思いこみでしょうか?でも、本当にきれいな鳴き声だったのです。
各部屋で最後の荷作りをしてから朝食。帰りは飛行機の便の都合上、フローラはウィーン経由、それ以外のツァーメンバーの方々は、バスでミュンヘンを観光してから成田へ向かうので、ここでお別れしなくてはなりません。みんなっすっかり仲良しになり、名残惜しいのですが、再び成田でフローラが皆様をお出迎えするという予定なので、ミュンヘン行きのバスを明るく見送りました。フローラはまっすぐ帰国するため、ミュンヘン観光は羨ましい限りです。
皆さんをお見送りした後、フローラ3人は急に静まりかえったホテルの庭先で、今回の大イベントをしみじみと振りかえり、又さらなる次ぎの夢を語り合ったのでした。(フローラはもう誰にも止められない!と以前、誰かが言ったような…)
9時過ぎに、タクシーでモーツアルト空港へ向かい、フローラはウィーンへ。そしてウィーン・シュヴェヒャート空港から、オーストリア航空で成田へと向かいました。帰りの飛行機の中では、忘れないうちにフローラ日記を書く予定でおりましたが、約11時間のフライトも苦にならないほど、よく眠ったフローラでした。成田空港で、二時間後に到着したツァーの皆様をお出迎えし、お互いに事故も怪我もなく、荷物もなくならず、全員無事に帰国できた事を喜び合いました。皆様は、少しの間でもミュンヘンに立ちより、ドイツ観光もできた事を喜んでくださったようです。
最後に、今回ご参加頂きました皆様 本当にお疲れ様でした。私達は、感動のJapan Festivalの舞台はもちろんのこと、美しかったベニス・ウィーン・ザルツブルグ、そして遠い所までフローラの応援に来て下さった皆様のことを、いつまでも忘れません。「次のフローラのコンサートが待ち遠しい」と思っていただけるように、さらに一歩前進し、大きくなりたいと思っているフローラなのでした。
★ 「フローラ旅日記」 に長い間お付き合いくださり、有難うございました。
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