心温まるお話を、いつまでも語り継ぎたいものですね。
3. クリスマスソング
天才ジャズシンガーで作曲家、そしてドラマーでもあった、メル・トーメと、ピアニストのロバート・ウェルズのコンビが1946年に作った曲。しかしこのクリスマスソングは、何と夏の暑い日に、涼を取るために、寒い冬の曲を作ったというから驚きです。当時メル・トーメは19歳、ロバート・ウェルズは22歳といいますから、その天才ぶりがうかがえます。この曲はその年に、初めてナット・キング・コールが歌い、大ヒットとなり、クリスマスの定番となりました。この他にも、ルイ・アームストロング、ビング・クロスビー、サミー・ディヴィス・ジュニア、アンディー・ウィリアムスなど、多くのミュージシャンが歌っています。
そして素晴らしい挿絵をつけて、児童向け絵本も出版されました。
この様に、クリスマスソングは世界中の多くの大人からも子供からも愛された、素晴らしい曲です。
今日はピアノとエレクトーンのアレンジでお楽しみ下さい。
4.きよしこの夜
原曲は「Stille Nacht」。ヨゼフ・モーア作詞、フランツ・グルーバー作曲のオーストリアの歌です。ドイツ語で書かれていましたが、世界中の300を越える言語に訳され、クリスマスのお馴染みの曲として親しまれています。この曲は今も謎に包まれている部分が多いのですが、ユニークで美しいエピソードを一つ紹介します。
<1818年のクリスマスの数日前、オーストリアのザルツブルグ近郊のオーバンドルフという、小さな村の出来事でした。牧師ヨゼフは、礼拝に備えて賛美歌の練習をしようと、教会を訪れました。ところが何とネズミが、パイプオルガンのパイプに穴をあけてしまい、全く音が出ません。雪も深く、今となっては修理を頼む時間もないので、困ったヨゼフは、親友のギター仲間で作曲家でもあるフランツ・グルーバーに相談しました。そしてほぼ即興でヨゼフが詞を書き、グルーバーが曲をつけて、クリスマス礼拝の当日演奏しました。村人たちは、最初は驚きましたが、そのすばらしいギターの演奏と歌にうっとりしました。それから、小さな村で生まれたこの曲は、賛美歌109番として、世界的に有名なクリスマスソングとなりました。>
この心温まるお話を、いつまでも語り継ぎたいものですね。
5.クリスマスソング メドレー
☆ひいらぎかざろう~ジングルベル~牧人ひつじを~サンタが街にやってくる ☆ 以上4曲のメドレーです。
クリスマスの絵本を開くと、だれもが心に浮かぶメロディー、幼いころのクリスマスの楽しい思い出がよみがえって来る…。そんな曲を楽しいメドレーにしてみました。まず1曲目は、教会の鐘の音と荘厳なオルガンの響きで始まります。そして色々な楽器が入れ替わり登場し、曲ごとに雰囲気がどんどん変わって行きます。クリスマスプレゼントの箱を、次々と開けて行くような、ワクワクした楽しいアレンジにしました
6.アヴェマリア(カッチーニ)
G..カッチーニ(Giulio Caccini) アヴェマリアの曲は様々の作曲家が趣向を凝らして作っていますが、中でもシューベルト、グノー、カッチーニの作品が「三大アヴェマリア」と称され、親しまれています。カッチーニはフィレンツェのメディチ家の宮廷に従事し、テノール歌手として働きながら、作曲活動を続けていたといわれます。この曲の歌詞は、「アヴェマリア」のみです。それゆえにいっそうこの美しいメロディーが浮き立って聞こえてくるのでしょう。聴くたびに気持ちが癒され、心の中まで清らかに透明になっていくような気がします。
7.花のワルツ
チャイコフスキー作曲
バレエ組曲「くるみ割り人形」作品71a
チャイコフスキー作曲の3大バレエ組曲といえば白鳥の湖」「眠れる森の美女」そしてこの「くるみ割り人形」があげられます。
この曲はドイツ・ロマン派の作家ホフマンの幻想的童話が元になっています。本来のバレエ音楽の中から演奏会用にチャイコフスキー自身が8曲を選び、演奏会用組曲として1892年にペテルグルグで初演され、大成功を収めました。
バレエよりも先に演奏会が行われることはとても珍しいことでしたが、その曲の素晴らしさは感動を呼び、アンコールを求められるほどでした。今日ではクリスマスになると世界中で「くるみ割り人形」のバレエ公演が行われています。演奏会用の8曲のプログラムの中で、最後のフィナーレを飾るのが、この「花のワルツ」です。
この曲はディズニー映画「ファンタジア」のなかでも使われていて、華やかで美しく、聞く人の心もやさしく包み込みます。
第二部
1.リベルタンゴ
タンゴの巨匠といわれるピアソラの作品を、現代最高のチェリストといわれる ヨーヨー・マが、ピアソラゆかりのタンギスト達と共に奏でたリベルタンゴが、テレビのC.M.で流れたのをきっかけに、タンゴブームに火がつきました
。 「リベルタ」とは自由という意味で、ブエノスアイレスでの活動に限界を感じていたピアソラが単身イタリアに渡リ、そのとき自分の中からあふれ出て来る新しいエネルギーを感じながら作曲した曲なので、このタイトルがつきました。もとは下層階級の.ダンス音楽だったタンゴは今世紀初めにパリの人々に受け入れられた事で、ブエノスアイレスでも上流階級の物となっていきました。そして1955年以降、アストル・ピアソラが新しい活力を吹き込み、踊るタンゴから聴くタンゴへと、新しい流れを作っていきました。
現在では著名なアーチスト達にタンゴは幅広く受け入れられ、ピアソラの作品も多く演奏されるようになりました。今回もタンゴのリズムにのって、チェロ、ピアノ、ギター、バンドネオンなどの音色の掛け合いをお楽しみいただきます.。 ブエノスアイレスのほの暗いダンスフロアーで、男女が愛情、夢、苦しみなどを激しいリズムにぶつけ合いながら、情熱的に踊っている、そんなノスタルジックな光景を思い浮かべながらお聴きください。
2.ピアノソナタ「悲愴」Op.13より第2楽章
ベートーベンの28歳~29歳にかけての作品です。
時代的には、ナポレオンの台頭によって、世の中が騒がしくなり、又大きく変わろうとしている頃でした。
青年の情熱ほとばしる頃に、なぜベートーベン自身が、「悲愴」という暗いタイトルをつけたのか、音楽界では議論の対象となっていますが、
実はこの頃より、耳の不調を感じ、その悪化を絶望視していたのではないかと、推測されています。
原曲のピアノソナタを、ピアノとオーケストラという編成にアレンジして、
甘い旋律を雄大な感じに仕上げました。
3.「コーラス・ライン」より ワン (Marvin Hamlisch)
マイケル・ベネット原案、振付、演出 マーヴィン・ハムリッシュ音楽。
1975年初演された、ブロードウェイミュージカルで、ワンはその中で歌われる曲です。
日本では「劇団四季」により上演され、大ヒットとなりました。
また1985年には、マイケル・ダグラス主演のアメリカ映画にもなりました。
コーラスラインとは、稽古で舞台上に引かれるラインの事で、役名のないキャスト達が、ダンス等でこれより前へ出ないようにと、メインキャストとコーラスを隔てているものです。
★N.Y.ブロードウェイのある劇場の幕があると、そこは新作のためのオーディションの真っ最中。演出家ザックの前で、いつかスターになりたいと夢見る17人の男女が、たった8人の採用枠に残るために、自分のすべてをかけているのです。しかし厳しいオーディションに合格しても、手に入るのは、「コーラス」つまり無名の脇役です。ショービジネスの世界に生きるダンサー達の、ひたむきな姿が描き出されているミュージカルです。
ワンは、軽快なリズムに乗って、つい一緒に歌いたくなるような歌詞ですので、一部をご紹介しておきます。
ワン ひとつの夢 胸にいだいて
ワン ほほえみもち 誇り高く
ひとつひとつ きらめきあえば
孤独など 忘れさせるよ
ワン ひとめだけで 誰も夢中さ
世界にひとりの人
ウー! すごい! その魅力に
みんな ただうっとり
4.管弦楽のためのラプソディ (外山雄三)
日本の伝統的に歌い継がれている唄をメドレーにして、さらに日本的な打楽器のリズムを加えた華やかな曲です。今やフローラの海外公演の定番の曲となりました。原曲は外山雄三作曲『管弦楽のためのラプディ』ですが、さらに和楽器の面白さをアピールできるよう、新しい曲をメドレーに加え、フローラ風にアレンジした物です。他の楽器では真似の出来ない、エレクトーンならではの機能を十分に活かし、楽しいアイデアをたくさん盛りこんであります。曲は、にぎやかな拍子木の音で始まり、 次々と日本の民謡やわらべ歌などが、日本的な楽器の音色で演奏されます。
あんたがたどこさ~ソーラン節~串本節~馬子歌~八木節 と続き、伝統的な日本のお祭り囃子や、尺八、三味線などの和の調べをお楽しみいただきます。
5.花は咲く
東日本大震災復興支援ソングとして、東北出身の作詞家、作曲家によって、作詞作曲された曲です。
NHK紅白歌合戦でも、色々なミュージシャンにより演奏され、最近ではウィーン少年合唱団の日本公演でも、使われました。
やさしく美しく心に染み入るこのメロディーは、皆で歌うたびに、人の絆を大切に思い、気持ちが温かくなる歌だと思います。
ピアノとエレクトーンで、気持ちを込めて演奏します。
6.連作交響詩「わが祖国」よりモルダウ
連作交響詩『わが祖国』 は、チェコの国民的作曲家ベドルジハ・スメタナの代表的な作品で、1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響詩から成ります。 交響詩とは、文学や人々の思いを管弦楽により表現する音楽のスタイルです。『わが祖国』は、全6曲からなり、「モルダウ」はその第2番目の曲です。
この曲に着手した年に50歳になったスメタナは、以前から耳の病が悪化し、第2曲目のモルダウを作曲した時には、全く耳が聞こえなくなっていました。この障害を乗り越えて5年かけて、連作交響詩の6曲は完成したのです。
1:高い城
2:モルダウ
3:シャルカ
4:ボヘミアの牧場と森から
5:ターボル
6:ブラニーク
全6作の初演は、1882年11月5日、プラハ国民劇場横のジョフィーン島にある会場で行われました。『わが祖国』は、毎年行なわれるチェコを代表する国際音楽祭「プラハの春」のオープニング曲として、演奏されることが恒例になっています。
モルダウ(ヴルタヴァ)川は、ボヘミアを南から北に流れ、エルベ川に合流するチェコの重要な河川の一つです。
約12分間にわたって演奏される交響詩「モルダウ」では、モルダウ川の源流からプラハ市内へと続く、上流から下流への川の情景が、非常に鮮明に描写されています。
☆まずチェコの山奥深いモルダウ川の水源から、雪が溶けて水が集まっていく様子から描かれています。
流れる水は岩に当たり快い音を立てながら、次第にその幅を増していきます。
両岸からは、勇ましい狩人の角笛や、農民達の楽しげな結婚式の舞曲などが聞こえてきます。
そして夜になると、静寂の中、青白い月の光に照らされながら、水の妖精たちが幻想的に舞い踊ります。
ある時は急流にさしかかり、波はしぶきを上げて、勇ましく飛び散ります。
次第に川の流れは広く穏やかになり、プラハ市内に入って行きます。勇壮な古城ヴィシェフラドを讃えるかの様に、
堂々とした華やかな演奏が続き、川は悠々とプラハ市内を抜けて、さらに流れ続けていく…☆
このような情景を思い浮かべながら、どうぞお聴き下さい。
7.サウンド・オブ・ミュージック・メドレー
1985年に公開されたロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演のミュージカル映画で、世界的に大ヒットし、日本人が一番愛したミュージカルともいわれています。
初演は1959年のブロードウェイ・ミュージカルで、第38回アカデミー賞作品賞を受賞しました。舞台は1930年代のオーストリアのザルツブルグで、妻を亡くした軍人と7人の子供たち、その家族のもとに現れた家庭教師との、心温まる交流を描いた作品です。
ナチスの支配から逃れるために、オーストリアから亡命し、「トラップファミリー合唱団」として活躍していた実在の家族の物語です。
ミュージカルの黄金コンビ、ロジャース&ハマースタイン最後の作品で、心と歌声を一つにして、困難を乗り超えるトラップ一家に、強く心をひかれた熱い思いから、数々の名曲が生まれました。
前奏曲~サウンド・オブ・ミュージック~ドレミの歌~私のお気に入り~すべての山に登れ の5曲をメドレーでお聴き下さい。
8.威風堂々「第一番」 (E.Elgar)
エルガー作曲 「威風堂々」 第一番は、イギリスの第二の国歌とも言われ世界的に親しまれている曲です。トリオの旋律は国王エドワード7世の耳をとらえ、歌詞をつけたら良いとの言葉により、Land and Hope and Glory (希望と栄光の国) と歌われるようになりました。コーラスをつけて演奏する事もあり、客席の方々も肩を組みながら歌い、大合唱になることもあります。最近は学校の卒業式や種々の式典等の時にも、よく演奏されています。希望に満ちあふれた未来に向けて、堂々と胸を張って生きて行こうという気持ちになる、スケールの大きい素晴しい曲です。テレビのコマーシャルでもよく使われ、かなりポピュラーになりましたので、ご存知の方も多いことでしょう。
(アンコール)
ラデツキー行進曲(J.Strauss I)
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