アンサンブル・フローラ
「故海東要一氏 追悼コンサート」

Yoichi Kaito 
  Memorial 
 
BGM: 主よ人の望みの喜びよ
 
 
今回のコンサートは追悼ではありますが、悲しみながら故人を偲ぶばかりではなく、今までの懐かしい映像に、楽しかった想い出の曲をのせながらお聴きいただくコンサートにいたしました。
 
このプログラムは、アンサンブル・フローラと海東要一さんの、10年間の歴史のような物です。その中に沢山の感動や、大変なハプニングもありました。でも常に周りの皆様のたくさんの協力を得て、乗り越えて来ることが出来ました。想い出の曲は数えきれないほどありますが、今日はその中でも忘れられない11曲を選び、演奏いたしました。
 

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1   主よ人の望みの喜びよ
更新日時:
2009.04.10 Fri.
 
オープニング曲(バッハ)の演奏のあと、学生時代からの御友人の法専さんに、海東要一さんの懐かしい思い出を、フローラとの関わり等も含めて、語っていただきました。
2   「レクイエム」より ラクリモーサ
更新日時:
2009.04.10 Fri.
 
皆様と黙祷をささげる気持ちで、モーツァルトのレクイエムより ラクリモーサ「涙の日」を演奏いたしました。
3   ニューヨーク ニューヨーク
更新日時:
2009.04.10 Fri.
 
フローラの初めての海外公演は、2003年のニューヨーク・チャリティーコンサートから始まりました。エレクトーンのない海外へ自宅のエレクトンーを運び、3回コンサートするという大プロジェクト実現させて下さったのは、やはり慶應大学の御友人で、当時N.Y.のANAハローツアーUSAの支店長の山口さんでした。これがきっかけで、海東さんが、次の海外公演の企画を引き継いでいって下さることになりました。その時のエピソードを、山口さんから お話ししていただきました。
4   フニクリ フニクラ
更新日時:
2009.04.10 Fri.
 
2005年、ベニスで行われた「ジャパン・フェスティバル」に、アンサンブル・フローラが参加しました。水の都のオペラハウス「マリブラン劇場」へエレクトーンを運ぶため、海東さんは献身的な努力をして下さいました。私達も初めてオペラハウスで演奏したときの感動は忘れられません。その時に演奏したプログラムから、イタリアの代表的なこの曲 「フニクリ フニクラ」を演奏しました。
 
5   美しく青きドナウ 
更新日時:
2009.04.10 Fri.
 
ベニス公演を終えた後、ツアー皆さんとウィーンとザルツブルグを周りました。
やはり音楽の都ウィーンを始めて見た時は、すごく感動しました。
初めて見る、美しい町なみ、ドナウ川、ヨハンシュトラウスの有名な金の像、彫刻のほどこされたオペラハウス、そしてニューイヤーコンサートの行われるあの楽友協会で、コンサートを聞いた感動は忘れられません。
そしてそのニューイヤーコンサートでは必ずアンコールとして演奏される、「美しく青きドナウ」を その時の思い出を胸に、演奏いたしました。
 
 
6   管弦楽のためのラプソディ
更新日時:
2009.04.10 Fri.
 
海外公演というのは、日本人のような義理人情がなく、とてもシビアなもので、外国の方は飽きたらさっさと席を立って出て行くというのが日常的だといわれました。そのため、なるべく飽きないように、色々なジャンルの曲をおりまぜて選ぶようにしていますが、この「管弦楽のラプソディ」は海外では必ず演奏している曲です。
日本の伝統的な楽器を使って、わらべ歌、お祭り囃子などをメドレーで演奏するので、とても喜ばれるレパートリーです。いつもハッピを着て演奏し、それを私達のプレゼントにしてきました。海東さんはいつもその事を、とても自慢にしていましたので、今回も同じようにハッピを着て演奏いたしました。
 
 
そして海東さんの思い出といえば、やはり「ジャパン・フェスティバル」の公演が一番多いのですが、その度に 一番お世話になっているのが、この「ジャパン・フェスティバル」の主宰者、東京アソシエイツの代表取締役、橋本さんです。橋本さんとの出会いがあってから、海東さんが天職を得たように海外を飛びまわり、国際文化交流に力を注ぐようになりました。自分の兄のように信頼を寄せていた橋本さんに、海東君との思い出を語っていただきました。
 
 
7   連作交響詩「わが祖国」より モルダウ
更新日時:
2009.04.10 Fri.
 
2008年1月に、フローラは、ウィーンのコンツエルトハウスで行われた「ジャパン・フェスティバル」に参加しました。その頃から燃料費が上がり、重量制限がますます厳しくなったため、エレクトーンを3台運べないかもしれないという事態に陥りました。しかし又海東君はこのピンチに立ち向かってくれました。もっと軽いエレクトーンがないかどうか、私達が直接行ったこともない、ヤマハのエレクトーン業者のところへまで足を運び、情報を聞き出してきてくれました。その結果、より軽く分解して運べるD-Deckという機種を、レンタルしてウィーンへ運ぶプロジェクトにまでこぎつける事ができました。これもありえないような事ですが、海東さんが夢をあきらめなかったから、実現できたのだと思います。
 
そしてウィーン公演の後、私達は念願のプラハを訪れました。ここには海東さんが始めてジャパンフェスティバルを見た想い出のスメタナホールがあり、その主宰者の橋本さんと運命の出会いをした場所でもありました。彼の大好きな美しいプラハの町並を歩き、モルダウ川、カレル橋、プラハ城などを観光しました。私達もその時の感動から、わが祖国「モルダウ」をレパートリーにしたいと思い、昨年12月のコンサートに向けてアレンジをしました。しかしコンサートで演奏した時 一番聴かせたかった海東さんは もういませんでした。とても残念です。その「モルダウ」を、プラハの好きだった海東さんへ気持ちをこめて演奏いたしました。
 
 
8   アヴェ・ヴェルム・コルプス
更新日時:
2009.04.10 Fri.
 
ウィーンのジャパン・フェスティバルの最後には、出演者全員で、「さくらさくら」と、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を合唱しました。その時、フローラがその合唱の伴奏をすることになったのですが、そのことを海東さんはものすごく喜んでくれました。そのコンサートでフローラが「トリ」だったこともあり、それが決まった時は、本当自分のこと以上に嬉しそうでした。その時の曲 「アヴェ・ヴェルム・コルプス」をお聴きいただきました。
 
9   若き血(慶慶應義塾大学応援歌)
更新日時:
2009.04.10 Fri.
 
2008年夏は、慶應高校の甲子園出場が決まったので、海東さんは応援に行くといって張り切っていました。しかし8月始めに甲子園に行く直前、背中が痛いので、念のため検査入院すると言って、それが最期になってしまいました。残念だったと思います。そこで、海東さんが甲子園で歌いたかったはずの「若き血」を皆様と御一緒に歌いたいと思いました。
今回初めての アンサンブル・フローラ伴奏の「若き血」でしたが、慶應以外の皆様も全員が立って肩を組んで、歌って下さいました。そしてエールは、やはり慶應大学時代の御友人の下嶋さんが、力強くやって下さいました。この応援歌は、きっと天国まで届いたと思います。
10   威風堂々 第一番
更新日時:
2009.04.10 Fri.
 
音楽で色々な思い出を綴りながらのコンサートでしたが、最後は「これから天国でもずっと、胸をはって威風堂々と歩いて行って下さい!」という気持ちをこめまして、海東さんの大好きだった「威風堂々 第一番」を演奏しました。
 
そしてその後、ご親族を代表して、海東要一さんのご長男、海東和貴さんに、御挨拶をしていただきました。
 
又、この日は驚いたことに、主役の海東君から、天国からのリクエストが届きました。やはり さすがに、自称「ファンクラブ代表、追っかけ組 組長」です。リクエスト曲はシューベルトの「アヴェマリア」でした。
 
そしてこの曲は、海東君のためだけでなく、皆様のご家族やご友人の中で、すでに悲しいお別れをされ、天国へ旅立たれた方々の事も思いながら、心をこめて演奏させていただきました。
 
 
11   アヴェマリア(シューベルト) 
更新日時:
2009.04.10 Fri.
 
 天国からのアンコール曲
 
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